養生

生活習慣

無論、「生活」は日頃毎日の行動全てを包括的に表現したものだ。
そうであるならば、同じく一目瞭然に人間の「生活」例えば100年ほど前と比べて大きく変ってしまった。もっとも目立っているのは恐らく文明の利器に齎されている変化:生活のどの部分に何かの「機械」が侵入してきて、生活は「楽」になったと人々が喜ぶ。
問題は「楽」になればなるほご「楽園」には近付かない。

詳細の事はここで省略させて頂きますが、先ず挙げるべきのは食生活と運動。現代の先進ヶ国において今暫く飢餓はなかったから、いつでも、季節はずれのものを含めて、満腹(過ぎるほど)まで食べられる。「自然感覚」の失っている現代人に致命的になる。
それと同時に機械文明によって進行させられるのは病的運動不足。又は人間が「動物 = 動く物」であるのに、一日座ったままで過ごす - 植物のような生活 - 事になった。

そういった「生活習慣」は今誰でも耳にしたことある「生活習慣病」を引き起こす。
人間は自らの行動で病気にしてしまう事を「医療産業」にとって金の卵を産む鶏のようなビジネスチャンスとして捕らえている。日頃「生活中!」でどこでも見られる「健康食品」や「健康商品」の氾濫と絶えない広告は物語っている。

生活環境と工夫

文明の利器に齎されている生活の便利さが帰って人を病気にするならば、結論は比較的簡単なものだと思う: 意図的不便な事をする。
下記の拙著例 - 歯磨き運動 - のように「必要ない」動きをわざと生活に取り入れることによって、「楽」と言った甘い罠から脱出する最初の一歩になるでしょう。
具体的どのような工夫をすればここで指定しなくても良いとおもう。それぞれ自分の生活に合ったものを考えて頂きたい。だが例えば洗濯物を干す→洗濯物の籠を洗濯機から干す場所まで運ぶ時、腕を伸ばして籠を体から放して運べば。
お茶やコーヒーを入れるとき薬缶を体から放してお湯を注ぐ。
二階に行く時階段のステップ一段ずつで足を乗せた時一端片足で体を押し上げる(爪先立ち)すると脚の訓練できる。等・・・

何か「不便」を作るチャンスは略無限にある。

身近な物を使う

「梅花鍼」と呼ばれる商品。金槌のような物の先端に余り鋭くない「鍼」が付いている。

竹串 (梅花鍼)

竹串で作ってある物。家で簡単、格安に出来るものです。暫く使って竹串の先端部分が少し丸くなったら、別の竹串を使えばいい。上下2か所で輪ゴムで止めると便利です。

手に持って、余り力を入れない形で軽く手首を「フリック」する形で皮膚を叩いて使うものです。

使い方は類似している。手首を柔らかくして、トントンと軽く叩く。

こんにゃくを熱が完全に通っているまで熱湯に入れる。取り出して、小タオルに包んでおけば、ちょっとした「ほっとパック」が出来る。タオルをお湯に浸してもいいですが、直ぐまた冷める。こんにゃくは熱を暫くもつ。

何度も使えるでしょうが、後に食べない方が無難でしょう。

肩が凝ったりして、頭痛、腰痛、膝の痛みなどに応用できる。

拙著の例

今年(2013)2月に出版された私の本は主にここにも挙げているテーマ = 養生 にかんするものだ。日頃の生活でちょっとした工夫をすれば、何も買わないで、どこにも行く必要ないままで運動や自己管理が出来る。
ここ例として「
歯磨き運動」のサンプルを乗せる。

医道の日本社で出版された私の拙著 「トーマス 先生の話を聞いてみませんか」 より

私の本から「医道の日本」2013年6月号に転載された分もある。

先哲の教え


医は病を治す工である
医者は現在「科学者」であるかもしれないが、それ以前矢張り職人だと思う。この言葉の出典は知らないが、とても気に入った。
諸薬各一病を治す
唯茶のみ能く万病を治するのみ
栄西→「喫茶養生記」 - お茶を日頃に飲むと良いよ
楽は苦の種、苦は楽の種
諺 - 日頃文明の利器を使って兎に角楽すると、何時かその代償を払う事になるだろうという戒め
腹八分目諺、又貝原益軒、お腹いっぱいまでを食べない事。そうすれば「ダイエット」はいらない。
楽は身の毒
諺 - 気楽に過ごせば、気をつけないと体に有害な影響を与えてしまう
人間は病の器
諺 - 遅かれ早かれ - 人間は必ず病気になるだろう(からこそ養生すべき!)
医者より養生諺 - 今蚊に刺されても医者に飛び込む時代になったが、先ず自分で何か出来るか・すべきかを良く考えて下さい。自力で身を守りましょう。
一に看病、二に薬
諺 - いかにも「手当て」しましょう。医療産業の繁栄には全く貢献しないが、人間らしい生きかたが少々「手に入る」

医療とお金

一方社会福祉に掛かる財源が既に足りなくて、将来が大変だと言われて、他方で「先進医療」(大変お金のかかるもの)と「医療産業」が進められている。先進医療は想像が絶するほどのお金が掛かるから、それを提供する会社や施設は喜ぶ一方で社会に大きな負担をかけることになる。無論裕福の人しか受けられない。又医療産業は一つのビジネスであっては結構ですが、本来「病人」、或いは病を装う/想像する人がお客さんとして必要です。言い換えれば、人々はなるべく病気になって貰う事はビジネスの基盤だ。

私は日頃お薦めする日常生活の中で自分なり意図的「不便」なものを見出し、それを「健康法」にするのはお金も掛からないし、特定な場所も決まったファッションも要らない。要するにビジネスは生まれてこない。どちらかと言えば現在行われている「健康ビジネス」を妨害しているようなものだ。

そう言うわけで企業/国/団体(医師会など)/保険会社などは私が常に発している戯言に興味がない - 敵対心までありそう。しかし、我子は現在既に加齢し過ぎた社会を支えるにはかわいそうと思われる負担が押して付けられている。私の戯言をもう少し耳を貸していただければ、そして東洋医学の知恵に目を向けてしまえば、現在年間(保険部分)約40兆円の医療費が大幅減少(25%??)させることが出来ると信じる。

石ころ → 「ホットストーンセラピー」

後ほどに一言を書きます。