Concepts

I an in the process of “translating” my Japanese website, but have just begun. It will take some time. Please bear with me.

Oriental concepts, specifically those related to oriental medicine

Clinic without a menu

I have outlined this ‘concept’ on the page “acupuncture”. Please have a look there. After all, this is MY concept and not anything related to oriental philosophy.

 

Illness

Many people probably know the idiom “All illness comes from the mind.” in this literary or a similar form. All diseases are caused or at least influenced to some degree by your mind. Even if the western “evidence based medicine” does not like it, you cannot totally separate mind and body. This “mind” (also designated by a million other terms) appears in oriental medicine (thinking) as “ki” (Japanese) or “qi” = 「気」. Accordingly, the people visiting my clinic have a lot “disease ki” (literal translation), which is usually read simply as “disease” = dis-ease (and “diseased person” = literal translation = means patient, and wish to get rid of it as fast as possible. Although I can understand very well, there are some ‘problems’ …

The patient or ‘sufferer’ is usually hoping someone will take his “disease ki” or illess away. Put it another way, they expect / hope to send their “evil ki” (that is technical term often used in oriental medicine) towards the practitioner and thus get rid of it. On the other hand, they are expecting/hoping to receive “healthy ki” or wellness from the practitioner in a sort of barter business.

The practitioner functions in the process of ‘removing’ the bad, evil or disease ki and replacing it by healthy or vital ki not simply as a an intermediary or a sort of relay station. S/he has to be very ‘careful’ (the literal translation of that term would be something like “watch your ki” or “add your ki”) in order not to be dragged into the vortex of the patient’s disease ki. In other words, if the practitioner is not careful s/he becomes a trash box of disease ki. That is (my personal interpretation of the this situation) because ki behaves a little like water or electricity: it flows from high to low level. The healthy ki does the same, but in case of practitioner-patient correlations that means the opposite direction. The disease ki flow from the patient to the practitioner and the healthy ki from the practitioner to the patient.

This means, since every trash box eventually gets filled up, that the practitioner must look in nature for chances to replenish him/herself with fresh, vital ki. Personally, since I am living next to the ocean, I go there, stretch out my arms/hands, releasing the accumulated bad ki and asking the ocean = the mother of life, to grant me a little bit of this vital ki. And offer my thanks for the gift.

Ki

The concept of “ki” is really a strange, mysterious one and its nature cannot be explained in simple terms. Yet, as someone working in the field of oriental medicine, I feel obliged to say a thing or two here.

「気」と言うものは真に不思議なもので、その実態についてとても「簡単」には語れない。しかし、東洋医学を営む上に、どうしても一言は言わざるを得ない。
気 - その存在と運営、操作は東洋医学の真髄だとは過言ではないでしょう。気は人間の体の中(それぞれの臓器、経絡、血液など)と外(外気、天気、環境の変化、他の生物など)にも充満していると考えてもいいでしょう。そして常に変化し続けていて、決して「静止」はしない。
気の流れは患者-治療者の関係も、治療効果にも決定的な影響を与える。

最近何でも「科学的根拠」を見出していかない限りその存在を認めないと言う時代の流れだが、現時点では気の「科学的根拠」はまだ納得の出来る形で示されていない。そのため気に巡る議論は永遠続いている。


歴史的及び地球規模的(グローバル)を見てみると、全ての時代に、全ての文化圏には類似の概念がある。単なる偶然?
「科学的根拠」はまだ特定できないから「気が存在しない」結論に飛びつくのはいかにも「非科学的」だ。その正体を測定する装置がない、捉える概念が定義されていないだけかもしれない。つい最近(2013年の春)に全世界に揺るがす出来事があった:「ヒッグス粒子が発見された」。聞きなれていない言葉だろうし、一般庶民には全く関係ない事でしょうが、例のヒッグス粒子の存在は長年に「推定」された。その粒子が存在しないと現在の物理学(科学!)の基礎が完全に崩れてしまう=成り立たない。なのに今年までその粒子の存在を証明する証拠の影も形もなかった。

もしかして「気」の正体は zero-point energy (http://en.wikipedia.org/wiki/Zero-point_energy) にあるか・・・


今まで証明出来なかったから存在しなかった訳ではないだ!同じく:電気、磁場、微生物(感染症)などなどにも言える。黴菌の存在を証明出来なかったからいなかった訳ではない。感染症が世界中絶えず無数の人の命を奪う。それは幻しいではない。
気は恐らく同じものだろう。いつか技術の進歩で正体を突き止めて、測定する事ができるようになるだろう。その時まで少なくとも東洋医学においてこの不思議な力を操作するのは我々「鍼灸職人」だ。

元気

元気は文字通り「元の気」。この関連で生命の源。
単なる挨拶→ 「元気ですか」ではない。
元気は東洋医学において大きく分けてしまえば「先天性の元気」と「後天性の元気」がある。
前者は生まれる前に親から頂く生命力と考えて良い。それは生きている間少しずつ使われて、全部使い切った段階で死亡する。この気の種類は後から付け足し出来ないものだ。
それに対して後者は生きている間常に補充しなければならない。「補充」と言うのは飲食や呼吸によって身になる材料及び燃料(食べ物)、その材料を運搬/運営出来る媒体(水)と生体を動かすエネルギー元(空気、「気」そのもの及び燃料を燃やすに使われる酸素)を指している。
後天性の元気は生命活動に不可欠なものですので、出来れば「いい品」を使うのは賢明でしょう。
そして「先天性の元気」と「後天性の元気」を自分の意志で操作する技術を少々身に付けると多いに役に立つに違いない!

責任

「自分の体」・・って良く使う表現だ。
トップページや私の部屋で既に触れた健康に関する「責任」は極めて邪悪で絶対近寄っては成らない概念と捉えられているように見受ける。
しかし・・・
自分の体は各自自分で作った訳でもないし、言って見れば親も「作って」いない。子供を作るとは言うが、人間の「技術」や「力」ではどうにも作れない。
それぞれの生体、人間、動物、植物、微生物・・・は奇跡な情報を遺伝子の形でほぼ永遠不滅の命の鎖に伝播するのみ。


自分の遺伝子は親か、
親の遺伝子はその親から、
何百万年の間に伝わり、
それ以前人類の祖先から、
それ以前から他の生物から・・・
地球上に遺伝子のある生物が誕生してから。
そしてその奇跡の情報= DNA は人間と魚の間そう大した変わらない!
もう少し謙虚にものをみましょう


遺伝子に含まれる情報は全ての生物を共通する、太古昔から全ての生物によって伝えられている宝だ!
個別の生体はその宝を載せた船だ。沈没したり、破損、腐食したりすることは許せない。自分=人間は自分のDNAを過去から未来へ運ぶ使命がある。その運搬能力(健康状態)をお粗末する「権利」はどこにもないと私は信じる。

そして、動物の異なる点は:人間は知能があるから、奇跡な遺伝子情報を伝播すること責任は人間に限らず!本来人間は全ての生物に対して責任を果たすべき。(聖書にも記載)。

それ程重大な責任は現在自分がどうしているかを一度考えてみてください。

時間

「時間」の概念は特に近代(今2-300年)の科学的思考とつい最近「デジタル時計」の発明によって大きくずれてしまった。何となく皆さんは時間は一直線上である地点から別の地点まで永遠続けて流れる(進む?)と考えているようだ。
しかし、難しい事を考えたり、したりしなくても、単に自分が住んでいる世界を眺めていれば、時間は直線ではなく、円を描いているのが一目瞭然だ。
つまり:
朝 - 昼 - 夜 - 朝 - 昼 - 夜 - 朝 - 昼 - 夜 ・・・・・
春 - 夏 - 秋 - 冬 - 春 - 夏 - 秋 - 冬 - 春 - 夏 - 秋 - 冬 ・・・・・
生まれる - 成長する - 衰退する - 死ぬ - 生まれる - 成長する - 衰退する - 死ぬ ・・・・・ など
それは化学分子(粒子の世界もそう!)、単細胞、生体(動植物、鳥、昆虫、人間)、生態系、惑星、太陽系、銀河系 ・・・・・ どこまでも続く: 

何でもいつまでも「サイクル」=円を描きながら進む。
ならば少なくとも東洋医学(西洋医学では良く “life cycle” と言う言葉を使うのに、時間が進むのではなく円を描くだけと言う概念が乏しいように見受ける)このにおいて治療も何分=何円(直線)ではなく、サイクルで進ましたい:治療開始 - 治療中 - 治療終了。そのサイクルの長さは値段表ではなく、患者の特徴で決まる筈のではないか・・・

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